撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

相づちひとつでも

 朝ご飯を食べながら・・「芋もあるぞ」とダンナが次男に。
次男「フライドポテトやろ」「芋やん」との会話。


 う〜ん、芋っていうとなんか感じ違うねえ・・なんか丸ごとの
焼き芋か、煮っ転がしみたいな感じがするねえ・・と会話。


 言葉って、それによって何かをイメージするものだから、同じ
ものを思い浮かべることの出来るひととのほうが楽しくスムーズに
会話が出来る。また、その伝えたいものになるべく近い言葉を
遣おうとするひとって、人に対する思いやりのある人だと思う。
 会話の能力って、語彙力と、表現力と、思いやりと・・そんな
ものが揃ってできるものなんだなあって思う。


 「そういえば、○○(近くのスーパー)に焼き芋売ってるねえ」
という私に「へえ・・」というダンナと「エッ嘘!」という次男。
 ダンナが次男に嘘?っていう相づちはよくないと意見。あれえ?
わたしもその相づちはあんまり好きではないのだけれど、今は全然
気にならなかったぞ?と。そうそう・・たとえば、プリント忘れて
たよ!とか、あなたこれやってなかったじゃない!とかいう、その人
に注意を促すようなことを言った場合、特にこんなこと忘れてちゃ
いかんやろ!というような事柄に対して「うそ!」なんて相づちが
返ってきたら「ウソやないでしょ!(怒)」となるけれど、ホントに
思いがけなくてへえっ!って心弾みが感じられるような時には「嘘?」
もそんなに悪くないと思ってしまう「信じられない!」「びっくり!」
と同じようなニュアンスですね。


 結論・・相づちは選ぶ言葉よりも、その心自体のほうが大切。まあ
言葉・・会話ってすべてそうなんですが・・。


 「そういえば○○さんの「なるほど」は、相づち入れるのが
早すぎる時があるよねえ・・まだなるほどって言われるほど話して
ないっちゅうねん!って時あるもん」とダンナに突っ込んでしまったら
次男が一言「パパがなるほどって言うときはテレビ観てるかパソコン
してるときが多い」


 はあ・・子供ってよく見てるしよく聞いてます。相手に文句つける
ような無駄なことするより、自分のことをきちんとしよう!(汗)と
感じさせられた朝の会話でした。