撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

8

 予定していたレストランに行ってみた。重い引き戸を開けると、
高い天井の古い民家を改造したその建物の広がりに圧倒された。
 ひとりで来てよかったのかしら・・ちょっとばかり不安な気持ち
が頭をもたげる。時間をはずして1時頃を選んだつもりだったが、
店の中はゆっくりと食事を楽しむ人でいっぱいだった。忙しそう
に働きながら目敏い年かさの店員さんが、今ご案内しますので
しばらくそちらの椅子でお待ちくださいね、と声を掛けてくれた。


 促された方を見てみると、窓際に木のベンチが置いてあった。
男の人がひとり座っていた。黙礼して、隣りに座った。意外と
多いものですね・・と男がさりげなく声を掛けた。ほんとうに・・
と軽く返しながら、そちらを見やると、ぎこちなくこちらを見て
いた男の視線とちょうどぶつかってしまい、どちらともなく
笑ってしまった。急に緊張がほどけたように男が喋りだした。
「おひとりですか?」
「ええ・・今日は」
「こちらはよく来られるんですか?」
「いえ、湯布院に来たことはあるんですが、ここは初めてで・・」
「僕もここは初めて。前から聞いてはいたんですけど」
「ええ、有名ですよね、わりと・・」
と、言ったところでふたりで「豊後牛」とハモってしまって
顔を見合わせて声をたてて笑った。


 ちょうどその時、店のひとが呼びに来た。
「お二人様、お席のご用意ができました」


 なんて言っていいのか一瞬男の方を見てしまった。男は私に
だけ分かる程度の小さな笑い方をして、それから私に
「お二人様でよろしいですか?」と、いたずらっぽく聞いた。
 どうしよう・・。それでも、私のどこかで旅心が囁いたのかも
しれない。袖振り逢うも他生の縁・・ってこんなこと?それとも
旅は道連れ?なんの言い訳や理由付けをしているんだろう。ただ
そのいたずらにちょっと惹かれただけだ。そして、その男のその
話しぶりや、醸し出す雰囲気に、卑しい印象を受けなかったのが
一歩を踏み出すきっかけになったんだろう。そう、取り立てて
言うほどもない、でも、旅の土産話には充分なちいさな一歩だ。


「ええ、お願いします」


 そうして案内される席へと歩いて行く間、私の心臓は微かな不安と
いたずらを企てる子供のような気分とでその動きを早めていた。
「美味しそうな匂い・・」
 急にいろいろな感覚が鋭くなってきたような気がした。しかし
どうして人は緊張するとお喋りになってしまうのだろう・・。