撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

喜びを分かちあえれば・・(ちりとてちん)

 「喜んでくれると思おたのに・・」とつぶやく喜代美が
可愛らしくもあり、残酷にも見えた。男には、女には分からない
こだわりがあるのだろうと思う。いや・・分からないことはない。
女だったらこだわらなくてもいいことにどうしてもこだわらなけ
ればいけない部分があるのだろう・・と思う。


 おとうちゃんとおかあちゃんのやりとりが出色。糸子さん、
子供と家族のために敢えて悪者・辛い役回りになっていたところ
おとうちゃんに「やりくりがしんどくなっただけやないか」などと
言われ、「そんなの前からしんどいわ!」と切れちゃいました。
 分かっているけど、言わないで我慢していることって、男も
女もあると思う。我慢してくれているからお互いに何とか耐えて
いるけれど、そんな我慢に気付いてもいなかったり、全然別の
意味にとられてたんだったら、「やっていけねえよっっ!!!」
ってなっちゃうのもよくあるはなし。喜代美みたいに同じ落語家
っていうのは複雑で大変だけど、影で支えるのもずっと影に徹する
ってきついものがあるんだよ。
 このベテラン夫婦の場合はこのあとどう収まる・治めるのだ
ろう。後ろで見ていた正平の気持ちを想うと切ないけど・・。


 落語家として・・の想いも持つ喜代美は、草々の落語が評価され
ることも手放しで喜ぶこともできない。テレビの露出が多いのと
落語家として評価されることはまた全然別のものだということも
分かっているけれどどこか分けて考えきれていない部分も・・。
 小草若の存在が光る。タレント活動と、落語を受け継ぐこと、
塗り箸の伝統を受け継ぐことと、秀臣さんの会社の関係。相通じる
ところがあることを感じるのだ。どちらが上とか、どちらが本物
とか、あるにはある。しかしながら、それだけではやっていけない
のは事実。自分の中にしっかりとしたものがありさえすれば、
自分ではないもうひとつのものを認めるのは屈辱でも、負けでも
ないはずなのだが・・。
 男と女がどこまでいってもやっぱり本当は別の生き物なほど
違うものだけれど、それでもどちらか一方では生きていけなくて
何とか折り合いをつけて一緒に暮らしていこうとする・・それにも
似て、しんどくても、傷ついても、どちらかを否定してしてしまった
ら、そこから先には進めないってものがあると思う。


 久しぶりの草々さんの高座での姿。好きな男がスポットライトを
浴びている姿を見るのは純粋に嬉しい。ああ・・こういうところを
見て、わたしってこの男を好きになったんだなあ・・って思い出す。
 その気持ちを大事に持っていられたら、女としては何とかなるし
男もなにか伝わるものを感じてくれるんじゃないかと思うんだけれど
・・。


 それをそっとしておいてくれないのが周りの状況?最後の場面は
痛かったなあ・・・。