撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

2-7

 帰りの車の中ではたわいのない話ばかりして、乾いた笑い声を
満たしていた。ガラス越しの陽射しは熱い。半袖から出た腕が
陽に焼けるのではないかと心配されるほどに。


 さっき見たこの男の眼差しが脳裏に焼き付いている。懐かしい?
いや、確かに懐かしい瞳をしてはいたけれど、それは私に向けられた
ものではなかった。私もこの男の前で、こんな目の色をしたことが
あったのだろうか?この男もそんな私を見てこんな気持ちになった
ことがあったのだろうか?それとも、何も気づいていない?もし
気づかれていたとしたなら、それはたまらない。“好き”と“分から
ない”をうろうろしている自分の気持ちを見透かされているなんて
そんなことたまらない。自分ではそう思っているくせに、相手に気づ
かれたら・・と思うとたまらない。もし、何も気づいてない・・と
すれば、それは・・・切なくてやりきれない。こんなに想っている
のは私だけなのだ。なんとも自分勝手で利己的な理屈にもならない
理屈だけれど、それもまたやりきれない・・と思う。


 こんなに苦しい想いは恋ではないと思う。想っても幸せになれない
なんて、好きではないのだと思いたい。そう信じ込んだほうが自分が
楽になれる・・。弱虫の自分が見え隠れする・・・。


 まだ、夕食を摂らなくてはならないというほどの時間でもないのに
あたりはもう暗くなっている。じゃあ、ここで・・と車を停めてもらった
ら、ああ・・ちょっと待って・・と、男も運転席から降りてきた。
 何かあっただろうか?と首を傾げて暗くなった空を見やろうかとした
その時に、思いがけずに抱きとめられた。えっと不意をつかれて驚いた
顔で男の顔を見上げると、盗むように短いキスをされた。どうして?
泣きそうになって男を睨み付けようとしたら、男は私の顔を眺めていた。
なんとも懐かしそうな顔で・・あの、どこか悲しげな、しかし明らかに
求めすがるような率直な瞳が私の瞳にまっすぐに合わされていた。


 「さよなら!」その緊張に耐えきれずに、その意味を問う勇気も
持てずに、私は走って帰った。帰ってから、どうしたらいいのか分から
ずに、自分の部屋でただ携帯を側に置いてじっとしていた。いつも
別れたあとに、短いメッセージを送ってくれるあの男が今日は何も
よこさない。どれだけ待っても、携帯は、音も光も発してくれない。
 訳もないのに、意味も分からないのに、ただ悔しくて涙が出てきた。


 夜半から雨が降り出した。それまでゆるゆると残っていた夏がどこかへ
いなくなったようだった。目覚めると指先が冷たくなっていた。