撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

2-6

 しばらく経って、あの男から次の休みを訊ねるメールが入っていた。
返信。冬に出会った美術館に行こう・・いい?とのメール。メールだけで
約束を取り付けるのも考えてみれば初めてのこと。すこしぎこちない
までも、とりあえず、次に逢える日が決まってどこかほっとしている
自分を感じていた。


 季節が変わり、空気は、澄み切っていた。車を降りると、さまざまな
草や花の香りが迎えてくれるようだった。美術館の入口に続く階段を
上らずにあの男は庭へと続く道へ私の手を引いていった。


 記憶がよみがえる・・。季節こそ違っているのが救いといえば救い
ではあるけれど。どうして・・今日こそは目の前にいるひとのことだけ
考えようと、そう心に誓って来たというのに、美術館の中に入りさえ
すれば、この目の前にいるひととの記憶だけに浸っていられるのに・・
と、この男のこのひかれた手が憎らしいほどだった。


 そして、彫像の前に・・。


 何も話さなかった。よみがえる記憶に抵抗するように、私はその
場所でじっと耐えるように立っていた。


 と、その時後ろから気配を感じた。私の首筋にあの男の吐息がかかる。
その腕に、からだまるごと捕らえられるように抱きしめられて・・
その腕にはひとつも力などはいってないのに、私はぴくりと動くことも
できずに、そのまま立っていた。懐かしく甘い香りが漂っていた。


 腕の温もりが私のからだの温もりと溶け合う頃には、わたしの心は
落ち着いて、目の前にいるひとを感じて幸せな気分で満たされようと
していた。やがて、腕がほどけ、あの男が私を見つめた。


「分かっていたんだ・・
 すまなかった。
 あの日・・
 こうして抱きしめたかったんだけれど・・」


「ううん・・そんなこと・・わたしこそ・・」


 そう言った私の頬は紅くいくらかの興奮と幸せの色を浮かべていた
に違いない。しかしながら・・・


 美術館の中へ入ろうとした私が数歩進んで振り向いたとき、あの男は
まだ、その場所から動かずに煙草をくわえていた。そして、わたしが
それを見つめる瞳と同じような視線で、あの彫像を眺めていたのだった。