撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

9月11日

 家事をしながら、この間の土曜日に放映されていた小澤征爾
さんの特集を観ようと思いつく。解説は聞き流してベートーベン
の「運命」。一楽章で画面に釘付け。
 繰り返される主題。裏表のように移り変わる悲壮と希望。
繰り返し、繰り返し、揺れ動き、光になり影になり、音楽は
続いていく・・。いつのまにかぼろぼろ泣いていた。
 二楽章。続くピアニシモ。指揮者の抑えた息遣い。静かな緊張感。
後半、時折伸びやかにあらわれる弦楽器のフォルテ。小さな日常は
ただの平板ではない。緊張を伴ったピアニシモであり、晴れの日
への大事な準備でもあるのだ。


 などと思っているうちに眠たくなってダウン。一回目が覚めたら
喉が痛くなってふらふらしてこれはいけない!ともう一度眠った。
 二度目目覚める前にはえらく忙しい夢を見ていた。次男と一緒に
出先にいる父と、家で待っている母と、駅に忘れ物をした長男と
どうやって一緒にご飯を食べようか?と悩んでいた。(何故に
ダンナがいないのだろう?)
 場面が変わると子供二人つれて車。前が見えない道を車だか
自転車だかで進む。急に怯えるひとびとに何が起こるかと思うと落雷。
 道路脇の田んぼに突っ込んだかと思ったら、何故か露天のティー
ショップ?知人の庭?まあいいか、それが分かっただけでも価値は
ある・・と思いながらミルクティーをいただく。何が分かったのかは
忘れてしまったし、ミルクティーには味がなかった。


 起きたらいくらかましになっていた。簡単な買い物のため外出。
空を見上げたら見事な夕焼けにいま伸びていく飛行機雲。写真を
撮ろうと携帯を出したら子供から電話。電話を切って空を見たら
飛行機雲はすでに空を横断し、いくらか雲に隠されていた。色が
綺麗だったからシャッターを押す。


 帰り道に見上げるたびに空の表情は違った。まぶしい夕焼けも
いつしか優しい光になっていた。


 生きていくことは面白いことばかりでも、楽なことばかりでも
ない。単調な、息苦しい、緊張を強いられる、そんな日々もある。
しかしながら、その毎日を過ごしているからこそ、時に起こる
素晴らしい出来事も味わえる。また、単調で退屈に見える日々にも
美しいものはそこかしこに転がっている。そんなものを味わうこと
をしていなければ、どんな美しいものにも美味しいものにも鈍感に
なってしまいそうだ。


久しぶりにクラシックを聴いて知恵熱出たかな?