撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

 10

 すっぽりとシートにからだを納めて深呼吸した。
「なに、緊張してるの?」
 唐突に疑問符を投げかけられてムッとした。
「緊張なんかしてません。
 それよりどうして声掛けたんですか?」
「えっ?ひとりで歩いてたから
 それよりなんで車に乗り込んだの?」
「・・だってっ!」
 と言いかけて、ああ、こんなあなたが声を掛けたから・・なんて
言い方は、私の一番嫌いな言い方だわ・・と思い出す。
「どうしてだろう?・・」
 そう言って何だか笑えて来た。こんな性格じゃないのにな。


「きっと、そうなることに決まってたんだよ」


 そういったこの人がどんな顔をしていたのか・・見たかったのだけれど
さっきまで風に吹き付けられていた頬が急に熱くなってきたので、ずっと
うつむいたまま自分の顔を隣にいるこの男に見せることが出来なかった。


 このあいだ、画廊で見た絵の話や、あの喫茶店のマスターのコーヒー豆
へのこだわりなどをいくらか話してくれた。僕は別に詳しくないんだけど
ね・・と付け加えながら。ふ〜んと、気のない返事をしながら、その声の
響きになにか懐かしいものを感じてしまう。いったいこの感覚はなんなの
だろう。どこか遠い記憶を呼び覚まされるような、不安と期待がどこかで
こころを撫でているようだ。おそるおそる隣を向き、記憶の中にその横顔が
なかったことを確認しながら走る車に身を任せている。


「長いことあの彫像の前に立っていたね」


 顔に身体中の血が上るのが自分でわかった。どうして・・・。そうその人の
方を向いた途端に、その男は静かに言った。
「着いたよ、このあたりでいいかな?」


 このまえ会った喫茶店にほど近い、しかし不思議なことに私の家への
バス路線のある道路のひとつだった。ありがとう・・と不思議な気分のまま
お礼を言って車を降りる。
「今度こそ電話するんだよ
 メモは捨ててないでしょ?」
 あやふやに微笑んで、ずんずんとバス停に歩いていった。なんだかその
場所に心を置き去りにしそうな不安を感じて・・。今まで身体を包んでいた
暖かい空気は外に出たとたんに吹き散らされるように溶けていった。