撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

今を生きることと過去を切り捨てることとは違う

 桜子が一番落ち込んでたころ、冬吾さんがやってきて楽譜を焼くという
荒療治で、桜子に「わたしには音楽がある」と気づかせる。
 でも、それで立ち直ったわけじゃなくて、達彦さんが帰ってくるまで
色々あったのよね。


 あの時、桜子はただ「私には音楽がある」と言った。不自然なほどに
達彦さんのことには触れなかった。彼が支えてくれる・・とか、彼の
遺志をつぎたい・・とか一切なし。どん底から這い上がるにはすべてを
忘れるくらいの覚悟が必要なのかなあ・・?と漠然とした違和感を
感じていたのだけど・・・。


 いつもいまを生きていた桜子。どんなことが起こっても、くじけず
前に進もうとして、最善の道を探そうとしていた桜子。そんな彼女に
とっては、いくら愛していても、達彦のことを思いだしてめそめそして
いるのはいけないと思ったのかもしれない。達彦に、音楽を忘れるな
と言われ、音楽を続けるためには、過去を振り返らず、前だけ向いて
音楽に精進しなければならないと思ったのかもしれない。彼女のそれ
までの性格が、愛しすぎる過去を持っていてはいまを生きることが
できないと思ってしまったのかもしれない。


 それでも、彼女の心の方が悲鳴をあげてしまった。思い出を無理矢理
封じ込めようとした心に歪みができてしまった。


 失ったものは、何かで埋められるものではないのだ。それが大事で
あればあるほど、かわりになるものなどないのだ。間違ったもので埋めると
かえって大きな痛手を負うことすらあるかもしれない。どちらにしろ、
失ったものを思う痛みは、何らかの形で自分の痛みとして向き合って行か
なければならないのだろう・・・。


 いまを大事に生きることと、過去を切り捨てることとは違う。切り捨てる
ほど、自分だけの人生でもないのだ。すべてを内に持ち続けながら、それ
でも明日を向いて歩いていく力・・それこそが欲しいと思う。