撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

魂の触れあう関係(純情きらり)

純情きらり」の桜子と冬吾の関係。笛子から見たら、自分にはないものを
持っている、入れない二人の関係・・と思ってしまう。でも、本当にそう
だろうか?


 なにものにも縛られない、無垢の存在を認めあえる関係・・それこそが
かれらが通じ合っている、魂の世界ではないだろうか?お互いに、音楽や絵に
向き合うときにほかのものを忘れることができる・・と言う部分があるから
その、なににも囚われずにお互いと向き合えるというやりかたが出来やす
かっただけで、・・そう考えると、桜子の芸術性がそこまであったか?という
疑問も、これなら関係ないことなので納得できる。


 桜子はいつも無垢の魂だ。達彦に向かってもそうだ。本当に達彦と向き合う
ときには、音楽すらも捨てる。達彦が一番大事。あなたがいなければ、音楽
なんて何も意味はない!と言う。


 笛子が、冬吾、そのものを愛することだけに専念できれば、冬吾は笛子と
ずっといられるのだろうか?絵を描くことも、絵を生業とすることも、冬吾に
任せて、冬吾そのものを受け入れれば、ふたりとも落ち着くのだろうか?
(笛ねえちゃん、教師に復帰したほうが、いいかも・・?)


 自分の望む相手・・というものは、いつか破綻がくる。お互いに影響を
与えあうことはあっても、人を自分のいいように変えることはできない。
 そのままの存在をみとめあうこと・・それが、魂のふれあう関係なのかも
しれない。


 ・・・男と女の微妙な立場の違いで、なかなか難しいなあ・・
    平等・・っていろんなものが絡み合ってる
    男に求めるもの、女に求めるもの・・やっぱり今でもあるんだなあ
    などと思います。