撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

抱きしめる(純情きらり)

 
 杏子の祝言の日、八州治に召集令状の知らせが来た。だれも
何も言えない。ひとり気を使ってしゃべり続ける八州治さんが
痛々しかった。しゃべりすぎだ、と言う冬吾に八州治は言う。
おまえは、生き残っておれの分まで絵を描け、赤紙がきたのが
おまえでなくおれでよかった・・と。たまらず、八州治を抱きしめる
冬吾。「死ぬな」とひとこと・・。


 冬吾が涙を流すのをみて、ああ、時が流れ始めた・・・と思った。
冬吾のこころの中に、何かが満ちてくるのが見えるようだった。
冬吾はいつも受け入れる、透明な魂だ。受け入れて、ただ受け入れて
そして、時折溢れ出すように、絵を描く。


 たっぷりと満たされた冬吾のこころは揺らがない。桜子との会話も
もう、いつもの冬吾だった。桜子との約束でここに生きている、と
いうのは本当だろう。あのときに死んだかも知れないのも本当だろう。
 冬吾はいつも真実をしゃべる。刹那の真実をしゃべる。そのむかし、
心中未遂相手しまこに、あのとき、嫌い、じゃなくて、好き、と言おうと
したんだ、と言ったことがあった。なんて、大人のやさしい嘘なんだろう
と思ったけれど、あれも、そう言ったからといってしまこと自分の
関係がどう変わるわけでもない、という確信があったからこそ、その時の
一番、美しい、心の動きのかけらを選んだ・・と言う感じだったなあ。
冬吾は嘘はついてないのだろう。


 揺らいでない冬吾は桜子を理解できる。桜子の心が、迷子のように
寂しい泣き声をあげていることにきづいたんだろう。そして、その心の
乾きが収まればこの子は立ち直れるということも・・。
 ・・このまま、ふたりで魂だけになってしまうのも悪くないと思った・・
それもまた、冬吾の刹那の真実だろう。あの時、死んでしまうことすら、
受け入れてしまえそうな気がした・・と言う意味で。
 二人にだけ分かるやり方で、冬吾は桜子を抱きしめてやったのだと思う。
そうすることが、一番この時に相応しいと思ったから・・。そして、それは
「生きるためだ、さくらちゃん」と、桜子の冬吾への「生きて」という想いを
受け取った冬吾が、桜子へ返したひとつのけじめだと思えた。八州治からの
想いを抱きしめて、自分で生きることを決心したからこそ・・。


 桜子は、抱きとめてもらえて安心して遊びに行ける子供のようにも
見えたし、「愛されていることを確信したからこそ別れを決心出来る」
女のようにも見えた。