撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

いのちをみるちから(純情きらり)

 絵を描けなくなった冬吾を桜子が励ます。いま目の前にあるものを
見て、いまはまだできなくても、そのうちに力が湧いてくるはずだ、
いのちをみるちからをもっているのだから・・と。


 桜子は冬吾にそう言いながら、どんなに自分がそう言って欲しかった
ことか・・。いまは、こんなに落ち込んでいるけれど、あなたには、
本当は、きらめく才能と力がある、今の気持ちを無理にねじまげ
なくってもいいから、そのまま大切に持ったままでも、いつかは
きっと救われる日がくる、いつかまた力が湧いてきて、笑顔になれる
日々がやってくる。・・そのままのあなたでいいんだよ・・って。


 笛子だって、考えてることは一緒だ。元気出して幸せになろう!って
言っている。でも、傷ついて、弱ってる人には、きつくって残酷なんだ。
立ち上がることもできないひとに、さあ走ろうって引っ張ってるくらい
ちぐはぐなんだ。笛子には、それが見えない・・・。


 冬吾が桜子を描く・・それは、すべてをさらけ出した自分を凝視する
ほどのきびしいことだ。冬吾にとっても、見つめられる桜子にとっても。


 人と本気で向き合うときには、嫌でも自分と本気で向き合わなければ
ならない。ひととの関係に悩む時は、同時に、自分自身が自分のことを
どう考えているのか考えなければならない。
 とてもとても人を恋するとき、何のために、どうして?と思うと、
愛されたがっている自分が浮かんでくる。自分を自分として認めて
もらいたい・・自分が何者なのかはっきり知りたい・・。


 わたしが・・・あのときの俺が・・・と自分へ向かって突き詰めようと
する、桜子や冬吾に対して、「そういうときは、だれにだってあるよ」
と片づけてしまおうとする笛子。幸せと愛・・同じところを目指しながらも、
まるで反対の方向に向かっているように違う人間に見えることすら起こって
しまうのだろう・・。いつも、高いところから眺めて、すべてわかったような
顔をしていた冬吾も、今は自分の心の葛藤に、うずくまっている・・・。